良いラケットは無い!?
誰もが良いラケットを探そうとする
ラケットの買い換えを考えるプレイヤーの多くは、ラケット単体で「良いラケット」を探そうとする傾向があるようです。
ラケットメーカーのカタログでモデル毎のスペックを調べたり、ネット上の評判をチェックしたりするのは、どうにかして「良いラケット」を見つけ出したいという気持ちの表れだと思われます。
人気モデルに販売が集中するのも、人気の高いラケットは「良いラケット」だと考えるからでしょう。
ただ、そんなふうにラケットの情報を集めようとする際に、「自分」という要素がすっかり忘れられていることが多いようです。
評判の良いラケット
多くの方がラケットの評判を気にするのは、「評判の良いラケット」は「良いラケット」だと考えているからだと思われますが、その「評判」を形成しているのは、誰だかわからない数多くの人たちの評価です。
たとえ誰だかわからなくても、たくさんの人が良いと言っているなら、そのラケットは「良いラケット」だと考えてしまうのかもしれませんが、実際のところ、多くの人が「良い」と言っているラケットが、自分にとっても同じく良いラケットである可能性は、それほど高くありません。
シューズと同じ
テニスラケットは、ちょうどシューズのようなものだとお考えいただければいいと思います。
人の足の形は一人一人違うので、誰にでもピッタリのシューズはありませんが、それと同じように、人の身体の特性も一人一人違うので、誰にでも合う「良いラケット」は存在しないのです。
ですから、「どのラケットが使いやすいですか」と人に聞くのは、「どのシューズが履きやすいですか」と人に聞くのと同じです。
シューズの場合は、人が履きやすいと感じたものが自分に合うとは限らないことが容易に想像できるのですが、ラケットの場合はそうではないようで、他人が打ちやすいと感じたラケットは、自分にも良いのではないかと考えてしまうことが多いようです。
自分を分類する
「自分」という要素をラケット選択の条件に加えて考えることもありますが、そういう場合、自分というものをどこまで正確にとらえられるかが大きな問題となります。
自分の身体の運動時の特性を、客観的、包括的に把握して人に説明することなど、ほとんどの人にとっては不可能だと言っていいでしょう。
ビデオ撮影などで自分のプレー中の動きを見ると、思っていたよりカッコ悪くてガッカリする人が多いようですが、それはつまり、普段から自分の身体の動きを正確には把握していないということです。
そこで、現実問題としては、技術レベルやプレースタイルなどという簡単な区分けで「自分」を分類して、その分類に合うラケットはどれだろうかと考えることが多いようです。
でも、人の運動特性は、そうした簡易的な区分けで分類できるほど単純ではありません。
本当は一人一人違う
人の歩く姿をコンピュータで解析すると、一人一人で微妙に異なるため、指紋と同じように個人を特定することができるそうです。
歩くというシンプルな運動でさえそうなのですから、飛んでくるボールを打ち返すときの運動の特性が一人一人異なることは容易に想像できます。
ですから、テニスプレイヤーの特性を年齢や性別、技術レベル、プレースタイルといった、簡単な区分けで分類してしまうのは、かなり乱暴な話だと言えるでしょう。
シューズ選びの場合でも、「幅広で甲高」などという区分けで人の足を分類することはできますが、それでも、「幅広で甲高」であればみんな一緒というわけにはいきません。
簡単な言葉でおおまかな分類はできても、実際の足の形は一人一人違うので、やはり、一度履いてみないと合うかどうかの判断はできないわけです。
「30代女性で腕は中級」などという条件設定で合うラケットが探せるほど、人の身体の特性は単純ではないわけです。
「良いかどうか」より「合うかどうか」
シューズの場合も「良いシューズ」という判断基準はあるのですが、どんなに良いシューズでも、自分の足に合わなければ、何の価値もありません。
そのため、「良いかどうか」より「合うかどうか」という判断基準が優先されるのが普通です。
テニスラケットも、これと同じ考え方で選んだほうが失敗が少ないでしょう。