無意識的な自動実行能力について
テニスのプレーにおける
無意識的な自動実行能力
ラケットのせいでミスが出ると考える人は少ない
全てのテニスプレイヤーを、「プレー中に起きるミスは全てプレイヤーのせいだ」と考えている人と、「ラケットのせいで起こるミスもある」と考えている人の2つに分けるとすると、前者のほうが圧倒的に多いのは間違いないでしょう。
プレー中、自分の身体は自分が動かしているのだから、その間に起きたことは自分の責任だと考えるのは、人ととして当たり前だと思われます。
ラケットの性能の
影響を受けるとは考えない
この2つのタイプを見分けるには簡単な方法があります。
「何年も同じラケットを使い続けていて、ガットもあまり張り替えず、張り替える時の硬さもずっと同じ」という条件に当てはまるかどうかで、それが判断できます。
「自分のミスは全て自分の責任」と思っている人は、ラケットの性能によってプレーに影響を受けるとは考えていないので、同じラケットを同じ硬さで張り続けることになります。
変える必要性を感じないのです。
自分の意志に基づかない
動きがあるとは考えない
「自分の身体はプレー中も100%自分の意志で動いている」と考えるのが普通で、「自分の意志以外のものによって動いていることもある」と考えるのは、異端といっても良いかもしれません。
普通は、酔っぱらっていたり寝ていたりする時を除けば、常に自分の意志と判断に基づいて行動していると考えられていますので、テニスのプレー中に自分の意志に基づかない動きがあると考えている方は、とても少ないといえます。
ラケットの性能が
身体反応に影響する
でも、クシャミが出たりシャックリが止まらなかったりするのと同じように、身体の仕組みとして、あるいは身体の反応として、自分の意志に反して「どうしてもそうなってしまう」ということがテニスのプレーにもあります。
飛ばないラケットでラリーを続けていると、身体に力みが出て動きがギクシャクしたり、1打毎にバランスを崩したり、というようなことが起こりますが、それは自分の意志でそうしているわけではありません。
好きで力んでバランスを崩しているわけではないのです。
飛ばないラケットでショットが短くならないように打とうとすると、どうしても、そんな動きになってしまうのです。
意識的にそうしているのではなく、ラケットによってそういう動きを「させられている」といえます。
飛び過ぎるラケットによっても、これとは逆の「変な動き」をさせられるのですが、プレーしている本人が「自分の意志に基づいて打っている」と考えている場合は、ラケットによって変な動きをさせられているという意識は生まれません。
反対に、「自分の意志以外のものによって動いていることもある」と考える人は、ラケットによって変な動きになっていることに気付きやすいと言えます。
思考でプレー中の動きを
コントロールすることはできない
テニスに永年取り組んでいる方の中にも、自分の身体は自分の意志で動かしていると考えている方は少なくないのですが、実際には、テニスでボールを打つという動きは意識的な身体操作によってではなく、無意識的な反射運動によって行われている部分が多いのです。
思考によって動くのではなく、反射的な身体反応によって動いているのです。
その理由は、飛んでくるボールの状態を把握して、それに合ったスイングを考えて実行に移すというようなステップを踏んで身体を意識的に動かしていたら、とてもではないですが時間的に間に合わないのです。
通常、思考は言葉によって組み立てられますが、頭の中を言葉が流れるスピードではボールが飛んでくるスピードには対処できません。
練習によって身に付く自動実行の能力
飛んでくるボールの情報が目に入り、それが頭で情報処理されずに、そのまま手足に伝えられて動くようなショートカットが継続的に行われていないとラリーが続かないのです。
テニスプレイヤーは練習によって、そうしたショートカットによる身体反応を体に蓄積します。
初めはできなくても、練習を続けることでだんだんスムーズにできるようになります。
飛んでくるボールの状態は毎回異なりますが、身体のほうが勝手に、それまでに蓄積された運動の中から適切なものを選び出して自動実行するようになることが「練習の成果」なのです。
集中している時
相手のスマッシュをブロックして、それがエースになったりする時などは、思考が機能していないことが分かると思います。
自分でも分からないうちにそうなったというケースです。
何も考えずに身体が勝手に動いた時が、自動実行システムが機能している時で、別な言葉でいうと「集中している」時なのです。
意識的な身体操作が
自動実行の邪魔をする
ですが、折角そうして身に付けた自動実行のシステムの働きを、自分で邪魔してしまうことが良くあります。
「言葉」で自分の身体を動かしていては間に合わないのに、敢えてそれをやろうとして、かえって自分の自動実行の邪魔をしているというケースが少なくありません。
「振り遅れるな」とか、「ボールをよく見ろ」とか、「大きく振り抜け」とか、「集中しろ」とか、数え上げればキリがありません。
(「集中しろ!」と自分に命令すること自体が、集中できていないことの証明であり、さらに、集中できなくなる原因でもあるのですが)
練習では返せるのに
試合では返せない
サーブ練習している相手のボールをリターンする時は簡単に返せるのに、試合の大事なポイントでは身体がギクシャクして上手く返せないということが良くあります。
どうでも良いときは、適当に身体の反射に任せているから上手くいくのですが、勝ちたいとか、負けたくないとか考えてしまうと、「大事に返そう」などという思いがつい浮かんでしまいます。
その「大事に」という思いが意識的な身体操作につながって、自然な身体反応の邪魔になるのです。
身体操作の練習
「全て自分の意志に基づいて動いている」と考える方は、練習する際にも自分の身体を上手く動かすための練習に取り組みます。
ネットしたらネットしないような動きに変え、アウトしたらアウトしないような動きに変えるような練習をするわけです。
その結果、ネットしないような動きでアウトして、アウトしないような動きでネットするというようなことが繰り返されるわけです。
ターニングポイント
「自分の体は全て自分の意志で動かせる」と考えるか、「意志でコントロールできない動きがある」と考えるかは、テニスというスポーツに取り組む上で重大な分岐点になると思われます。
これはとても大切なことです。
自分の体は自分の意志で操作できると考えていると、「意識的な身体操作」と「無意識的な自動実行能力」との主導権争いに明け暮れることになります。
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