ゲームポイントを評価しない
プレー中にポイントを評価しない
「試合中に現状を客観的に評価するのはやめよう」という提案です。
3-4で負けている状態から自分のサーブをキープできずに3-5になったら、誰でも「これはヤバイ」と思うはずです。
でもそれが、サーブがキープできて4-4になったら「一安心!」というところでしょう。
あるいは、30-0でリードしている状態から30-40にされたときは、その状況に対して多少なりとも「ガッカリ」という気持ちがわくでしょう。
こんな感じで、そのときの状況に対して何らかの感情がわくのは誰にでもあることで、勝とうとしてがんばっていれば当然ですが、この一喜一憂の振れ幅をできるだけ小さくすることが勝利への近道なのです。
ポイントが決まるごとに試合の状況は変化するので、がっかりしたり、喜んだり、不安になったり、安心したり、やる気になったり、意気消沈したり等々、多少なりとも気持ちが動くのは避けられないのですが、それを最小限にすることがプレー中の身体反応を高いレベルで維持するためには絶対に必要です。
心が動くと
身体の動きが鈍くなる
というのも、感情の動きは思考活動なので、心が動くと当然ですが、無我夢中の状態からは外れてしまいます。
40-0のリードからサーブをキープできなかったときは、誰でも自分に対して「バカヤロー」と思うはずですが、その思いで集中がジャマされることが、次のポイントを失う直接原因になるわけです。
飛んで来るボールへの反射を最高レベルに維持するには、動物的な無我夢中の状態が必要なので、感情の動きは身体の反応の重荷になります。
プレー中は頭の中を完全に空っぽにすることが身軽に動くためには必要なのです。
客観的になることを
排除しなければならない
状況に対して気持ちが動くのは、その状況を客観的に評価するからです。
今が不利か有利かというのは、自分が置かれている状況をゲームカウントやポイントという基準で客観的に判断するからわかることですが、この「客観的な判断」というものがあまり良くないようです。
今の自分の立ち位置からちょっと離れて、自分の置かれている状況を客観的に把握できるのは、人が持っている高度な能力の一つですが、テニスではそれが結構ジャマなのです。
というのも、俯瞰的に状況を把握する客観的な視点で現状を見てしまうと、ボールを扱う主体としての当事者感覚が失われてしまうからです。
プレー中は、高速で動き回るボールに意識を集中させて反射的に対応しなければならないのですが、その状況を第三者的に見てしまうと、打ち合いが他人事になってしまうので反応が鈍くなるのは避けられません。
自分とボールという二者だけの世界に入らなければならないのに、それ以外の第三者的な視点はジャマなだけです。
どんな状況からでも
勝てる
ポイントのやり取りの中で「これで勝利が近づいた」と感じたり、逆に、「遠のいた」と感じたりすることがありますが
コート上での緊急事態が連続する中で、そんな先のことを考えていては、目の前のボールに反射的に反応することはできないでしょう。
テニスのゲームは、どんなに不利なカウントからでも、その後のゲームポイントを全部取れば勝てるし、その逆も普通にあります。
詰将棋のように、有利な状況を積み重ねて追い詰めて勝つのではなく、逆に、不利な状況が続いたからといっても、それで負けるわけでもありません。
勝つためには、眼の前の1ポイントを確実に取るしかないので、どんな状況からでも逆転が可能で、同時に、逆転されることもよくあることです。
ですから、どんな事態になってもその状況を「単なる事実」として、心静かに受け止めるだけにして、状況を客観的に評価せず、それによって感情を動かさないことが、高速で動き回るボールへの反射能力を最高レベルでキープするために不可欠です。
ガッカリするな!喜ぶな!
そういうことなので、大事なポイントを落としたときにガッカリしたり、勝利が近づくようなポイントが取れたときに喜んだりするのは、集中のジャマにしかなりません。
心の中が「シーン」としている状態を常にキープすることが、最高の反射を可能にする前提条件なのです。
もちろん、戦略的な対応が必要な局面はありますが、そうした組み立て思考はプレーが中断しているときだけにして、ボールが動き始める前には戦略がセットされていて、思考が完全に停止していることが必要です。